ダム事故
ダム事故のなかでダムが完全に破壊される「決壊事故」(崩壊事故)は多数の犠牲者を出す最も重大な事故である。特に大雨によるダム本体からの越流や地震による崩壊といった天災的な要因に、施工不良や管理不良といった人災的要因が重なって起こる場合がほとんどを占める。中には戦争による空爆や意図的なサボタージュによって事故が起こることもある。前漢時代に劉邦の三傑といわれた韓信は、軍事的観点で土嚢によるダムを建設して意図的に破壊しその洪水によって項羽軍に打撃を与える戦術を多用していた。
最も危険なのはダム湖に試験的に貯水を行う「試験湛水(たんすい)」時であり、この工程中に決壊する例も多い。したがって試験湛水中はダム本体のみならず人造湖に接する周囲の地盤にも多大な注意を払っている。以下に主な事故を挙例する。
- 日本の事例については日本のダム#日本のダム事故を参照のこと
- サウスフォークダム決壊事故(en)(フィルダム。アメリカ合衆国・1889年5月31日。北緯40度20分57.45秒
西経78度46分32.39秒)
- 大雨によりダム堤体を貯水が越流して決壊。下流にあるジョンズタウンが壊滅して2,200人が死亡、世界のダム史上最悪の死亡者数をもたらした事故をおこす(ギネスブックにも公式に認定されている)。この水害を「ジョンズタウン洪水」と呼ぶ。
- エーデルダム・メーネダム空爆(重力式コンクリートダム。ドイツ・1943年)
- 第二次世界大戦時にイギリス空軍によるチャスタイズ作戦の折、軍需産業が盛んだったルール工業地帯に損害を与えて工業生産力を低下させ、ナチス・ドイツに致命的な打撃を与えるため両ダムを空爆し、破壊した。流域住民1,288人が死亡した戦争によるダム破壊の代表事例。終戦後両ダムは当時の西ドイツ政府によって再建され、現在も供用されている。
- 水豊ダム空爆(重力式コンクリートダム。北朝鮮・1949年)
- 朝鮮戦争時にアメリカ空軍が戦況を有利に運ぶために、電力施設への空襲や北朝鮮軍および支援する中国軍に打撃を与えるべく数度に渡り空爆を行う。ダムはかつて朝鮮半島を統治していた日本が建設したものだが、ダムの体積が大きかったことや建設技術が優れていたこともあって破壊させることに失敗する。
- マルパッセダム決壊事故(en)(アーチ式コンクリートダム。フランス・1959年12月。右写真。北緯43度30分43.48秒
東経06度45分23.40秒)
- 本体建設終了後に試験湛水を開始したがその約16時間後、ダム左岸部の堤体が基礎岩盤ごと決壊し500人以上が死亡。水圧を支えるはずの基礎地盤が軟弱であったことから莫大な水圧を支えきれずに崩壊したことが判明。以後のダム建設において両岸の基礎地盤対策が重要視された。日本においても黒部ダムのウイングダム化や奈川渡ダムの規模縮小など影響を与えた。
- バイオントダム地すべり事故(アーチ式コンクリートダム。イタリア・1963年1月)
- 本体建設終了後、最初の試験湛水中に地すべりが発生。それを放置し満水にした所豪雨を被りダム上流の左岸に大規模な地すべりが発生、貯水池に3億トンに及ぶ莫大な土砂が流れ込んだ。これにより貯水が巨大な波となってダムを越え、直下流のロンガローネ村に洪水を引き起こし村は壊滅。2,000人以上が死亡した。ダム自体は決壊しなかったものの放棄され、現在は機能を果たしていない。管理者であるイタリア電力公社の関係者が逮捕・起訴され有罪となった。これ以後、ダムサイトだけではなく貯水によって水没する周辺山地の斜面対策がより重要視された。
- 板橋・石漫灘ダム決壊事故(型式不明。中国・1975年8月8日)
- 台風3号により河南省一帯は記録的な大雨となり、一日降雨量が1,060ミリと世界で最も多い降水量を記録した。豪雨に伴い流域の河川が増水、文化大革命時に建設された板橋ダム(総貯水容量:約8億トン)・石漫灘ダムの巨大ダムを始め大小合わせて62箇所のダムが連鎖的に決壊した。この事故により流域の住民や救援活動を行っていた中国軍兵士ら1,827人が死亡、全体でも推定26,000人が死亡したといわれている。原因はこのダムが1957年~1969年まで実施された「大躍進政策」により人海戦術で建設され、工事全体が欠陥だらけであったのに加え、洪水吐きなどの放流設備がほとんど設けられていなかったことが挙げられる。専門家らが指摘したが中国政府は黙殺、結果的に事故につながった。
- 最終的には鄧小平の指示によって洪水流下の阻害要因となっていた残りのダムが爆破されることで洪水は収束した。中国国内ではこの事故を「75.8大洪水」と呼んで「自然災害」とし、ダム決壊の事実は報道が全く禁止されて隠蔽された。この事実は近年明らかになっている。
- ティートンダム決壊事故(en)(フィルダム。アメリカ合衆国・1976年6月5日。右写真。北緯43度54分36秒
西経111度32分22秒)
- アメリカ合衆国内務省開拓局が施工していたダムで本体建設終了後の試験湛水中に漏水が発生、ブルドーザーで補修を行うが漏水は拡大してブルドーザーごと陥没し同日午前11時57分に決壊した。漏水から決壊まで2時間半程度であった。約3億1,000万トンの湖水が洪水となって下流を襲い住民11人と6,000頭以上の家畜が溺死、負傷者も数千人に上り、被災額や補償案件も膨大なものとなった。原因は建設前より指摘されていた基礎地盤の透水であり、亀裂の多い溶結凝灰岩でその止水対策が不十分であったためと見られている。これ以降フィルダムにおける基礎地盤掘削以降の止水対策が強化されるようになった。
- このダム決壊事故は決壊までの一部始終が初めて映像で収められたほか、メディアによって世界中に映像が報じられ各国のダム関係者に大きな衝撃を与えた。この水害は「ティートン洪水」と呼ばれ、地元農業団体を中心にダム再建が求められたが内務省開拓局は再建を行わず、現在は左岸堤体のみが残る廃墟となっている。
- 参考:"Teton Dam Failure", Arthur Gibbs Sylvester, University of California Santa Barbara
- シャディコルダム決壊事故(フィルダム。パキスタン・2005年2月10日)
- 折からの大雨で貯水池が満水位を超え、結果ダム本体を越流して決壊する。下流の住民70人以上が死亡したが、フィルダム施工の基本である遮水(しゃすい)対策が不十分だったことが判明し、施工不良であることが決壊の原因とほぼ断定された。